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東京地方裁判所 昭和48年(人)6号 判決 1973年5月21日

請求者 甲野花子

右代理人弁護士 吉田欣子

被拘束者 甲野春子

同 甲野一郎

右両名代理人弁護士 千葉昭雄

春子、一郎の拘束者 甲野太郎

春子の拘束者 甲野夏子

右両名代理人弁護士 坪井昭男

同 加藤益美

同 大橋光雄

主文

被拘束者両名を釈放し、請求者に引渡す。

本件手続費用はすべて拘束者甲野太郎の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求者代理人)

主文同旨。

(拘束者両名代理人)

請求者の請求を棄却する。

本件手続費用は、請求者の負担とする。

第二請求者の主張

(請求の理由)

一  請求者と拘束者甲野太郎(以下拘束者太郎という。)は、昭和三七年一二月一八日婚姻の届出を了した夫婦であり、被拘束者甲野春子(昭和四三年二月一四日生)、同甲野一郎(昭和三九年一月三一日生)は、請求者と拘束者太郎との間に生まれた長女、長男である。

二  請求者と拘束者太郎は、昭和四七年八月一日まで拘束者太郎の肩書住所地において、共同して被拘束者両名の監護養育にあたってきた。ところが、請求者は昭和四七年八月二日、拘束者太郎の不貞と虐待に耐えきれなくなって○○の実家(請求者の肩書住所地)に戻り、離婚を決意して、拘束者太郎を相手方として東京家庭裁判所に夫婦関係調整の調停(同庁昭和四七年(家イ)第四九一九号事件)の申立をなした。そして、同調停の第一回期日である同年八月三〇日、拘束者太郎と請求者との間に、被拘束者両名の監護に関して、次のような合意が成立し、その内容は調停期日調書に記載された。

1 申立人(請求者)と相手方(拘束者太郎)は、申立人が神奈川県○○市○○町×の××、乙山二郎方に居住する形で当分の間別居する。

2 双方間の長男一郎(昭和三九年一月三一日生)、長女春子(昭和四三年二月一日生)は、申立人が監護養育するものとする。

3 相手方は申立人に対し、その保管中の申立人所有の物件及び前記長男、長女にかかる物件並びに申立人の希望する婚姻中の取得物件を速やかに引渡すものとする。

4 前記長男、長女の養育費については、当事者間で協議するものとする。

三(一)  そこで、同日、請求者が右合意に基き、被拘束者両名の身の廻り品を受け取るべく拘束者太郎の肩書住所地に立寄ったところ、拘束者太郎は、請求者との別居に反対し被拘束者両名の引渡しを拒むに至った。しかし、このときは、請求者は、当時拘束者太郎方に居て被拘束者両名を監視していた拘束者甲野夏子(以下拘束者夏子という。)の隙をみて、翌々日の九月一日、ようやく、被拘束者両名を連れ出して逃げ戻ることができた。なお、拘束者夏子は、拘束者太郎の次兄甲野正(以下正という)の妻である。

(二)  ところが、その夜の一一時三〇分ころ、拘束者太郎と同夏子の両名は請求者の別居先である前記乙山方にやってきて離婚について話し合いたいと称して上り込み、拘束者太郎は、眠っている被拘束者春子を抱きかかえ、車に乗せて強引に連れ去った。その後、拘束者太郎は、被拘束者春子の監護養育を正と拘束者夏子に委託した。それで被拘束者春子は、現在、拘束者夏子の肩書住居地において正と拘束者夏子との両名によって、監護養育されている。しかし拘束者太郎は、被拘束者春子をいつでも正と拘束者夏子の許から連れてくることはできる。

四  他方、被拘束者甲野一郎(以下被拘束者一郎という。)は、昭和四七年九月二日夜、再び請求者の許を訪れた拘束者太郎によって連れ出されそうになったが、請求者が屋内への立ち入りを拒んで事なきを得たとか、同月八日ころ、通学途上、拘束者太郎に待ち伏せされ、辛じて逃れ得たとかの事実はあったが、ともかく、昭和四七年九月一日以降、請求者によって監護養育されてきた。ところが、昭和四八年三月二二日昼ころ、拘束者太郎は、下校する被拘束者一郎を学校付近で待ち受けていて拉致し、直ちに隠岐島に連れて行き被拘束者春子と同様に、正および夏子にその監護を委託した。それで現在、被拘束者一郎はその肩書住所地で正と夏子に監護されている。しかし拘束者太郎は、被拘束者一郎をいつでも正と夏子の許から連れてくることはできる。

五  以上の事実によれば、拘束者太郎は、請求者と拘束者太郎との間の被拘束者両名の監護養育に関する前記合意によって監護権者となった請求者の意思に反して、被拘束者両名を、また、拘束者夏子は、右同様に被拘束者春子をそれぞれ違法に拘束しているものというべきである。

六  被拘束者両名を、現状のまま放置するときは、その置かれている環境が不適当なため、その人格形成上重大な悪影響を受ける虞れがあり、また、その身体の健全な発育を阻害される危険もあるので、その拘束の違法性は顕著である。

すなわち、

被拘束者両名の肩書住所地は、隠岐島の西郷町の繁華な商店街にあり、交通も頻繁なところであって庭などの遊び場もなく、子供を養育する環境としては不適当である。

拘束者夏子も夫の正とともに馬喰をしているため、忙がしく、被拘束者両名の面倒をみることができない。また、拘束者太郎は、東京都渋谷区内で事業を経営しており、自分自身では被拘束者両名の監護にあたれないことが明らかである。

他方、請求者が現在、身を寄せている実家は、実父母が健在で鉄工場を営み、同時にアパートを経営しており、実父母の他には実妹(未婚)が同居している。住居は○○市の閑静な地にあり、幼児を遊ばせるに十分な庭もある落着いた環境である。裕福でないにしても請求者が被拘束者両名を引きとって、長期間同居するようになったからといって、決して生活に支障をきたす恐れはない。

かような事情であるから、被拘束者両名が母である請求者とその実家において生活することは、被拘束者両名にとって現時点で得られる最上の幸福である。被拘束者ら二人だけの兄妹を父母の紛争のために引離すことは、同人らの不幸を一層大にするものであって、耐え難いところである。

七  請求者は、拘束者太郎に対して離婚及び被拘束者両名の親権者を請求者に指定することを求める訴えを提起したところであり、また、家事審判法による子の監護に関する処分を求める手続も進行中であるが、拘束者太郎の態度からみてこれらの手続によって、相当の期間内に被拘束者両名の救済の目的を達することができないことは明白である。

よって、請求者は被拘束者両名に対し、人身保護法第二条および人身保護規則第四条により救済を求めるものである。

(後記拘束者らの主張二に対して)

請求者主張の前記調停手続が、昭和四七年一二月二五日調停不成立で終了となったことは認めるが、その余の事実は全て争う。

第三拘束者らの主張

一  請求者の主張一の事実は認める。

二  同二につき

請求者主張の日、請求者が○○の実家に戻ったことおよびその主張の調停の第一回期日において、被拘束者両名の監護について請求者主張のような合意が成立したことは認めるが、結局右調停手続は昭和四七年一二月二五日調停不成立で終了となったものであるから、右合意は遡って効力を失ったものである。

仮りに、右合意が、依然として有効であったとしても、右合意のための拘束者太郎の意思表示は、請求者の次に述べるような欺罔行為に因ってなされたのである。すなわち、昭和四七年八月三〇日の前記調停の期日が始まる直前、請求者は拘束者太郎に対して「調停の席では、請求者が子供二人を連れて別居する旨の請求者の申し入れを承諾してほしい。」と申込んだが、その際請求者は、「自分の委任した弁護士の顔を立てるために、これを承諾してほしい。」とか「自分はそれとは関係なく、今日の調停が終ったらすぐ子供二人の居る太郎の許に戻って従来どおり生活することにするから」とかの偽りを述べた。拘束者太郎はその言を真実と信じたので請求者の右申込を承諾したのである。

よって拘束者太郎は、本件審問期日において右承諾の意思表示を取消す旨の意思表示をするものである。

三  同三につき

(一)  記載の事実は認める。(二)記載の事実も認める。なお、拘束者夏子が拘束者太郎に委託されて被拘束者春子を東京から隠岐の島につれていったのは、同年九月一五日ころである。

四  同四につき

拘束者太郎が、現在被拘束者一郎をその肩書住所地にある正および拘束者夏子方に留まらせていることは認めるが、被拘束者一郎はその自由意思で父親である拘束者太郎の許へ戻ったものである。

五  同五および六につき

いずれも争う。

1  被拘束者両名の監護状態は、請求者の許におけるそれよりも、環境の点から言っても、経済的な点から言ってもはるかによいものである。

2  昭和四七年八月二日、請求者が家を出る時被拘束者両名を置き去りにしていった。そこで、本来、請求者と拘束者太郎とは親権者として共同に親権を行使すべきなのであるが、現状ではこれができず、やむを得ず、拘束者太郎が単独で親権を行使しているのである。仮に、被拘束者両名が拘束者太郎に拘束されているものとしても、それは人身保護法第二条にいう法律上正当な手続によらない拘束すなわち違法な拘束にあたらないものというべきである。

六  同七につき

争う。

第四疎明関係≪省略≫

理由

第一拘束の有無について

請求者が昭和三七年一月二六日、拘束者太郎と結婚し、その間に儲けられた被拘束者春子が昭和四三年二月一日出生した現在五才二ヶ月の幼児であり、同一郎が同三九年一月三一日出生した現在九才三ヶ月の学童であること、請求者がその主張の日に実家に戻りその主張の日に被拘束者らを実家に連れてきたこと、拘束者太郎が被拘束者春子については、昭和四七年九月二日兄嫁である拘束者甲野夏子とともに請求者の実家である乙山二郎方から、請求者が止めようとしたのにこれを無視し、自動車に乗せて同人を連れ出し、被拘束者一郎については、昭和四八年三月二六日同人の下校途中を待ち受けていて請求者に無断で連れ帰ったこと、現在被拘束者春子と同一郎の両名が拘束者太郎の委託を受けた、その兄夫婦である正と拘束者夏子の両名によって肩書住所地において同人らに監護されていること、拘束者太郎は、被拘束者両名をいつでも正および拘束者夏子の許から連れて来ることができること、以上の事実は請求者と拘束者との間に争いがない。

右の事実によると、被拘束者春子が意思能力のないことは、その年令から推して明らかである。被拘束者一郎についても年令が未だ九才三ヶ月に過ぎない以上、誰によって監護養育されることが、自己にとって最も幸福であるかというような重大な事項について未だ適確な判断はできないものと考えられる。拘束者太郎は被拘束者一郎が自由な意思で拘束者太郎の許に戻ったと主張するが、同被拘束者が拘束者太郎の支配下に入った前判示の態様からすれば、右主張を真実に合致したものとは認め難く、仮に被拘束者一郎が拘束者太郎の支配下に入ることを素直に望んだとしても、そのことによって直ちに同被拘束者に意思能力があるとみることはできない。その他本件に顕われた全疎明資料によるも、被拘束者一郎がすでに十分の意思能力を備えているとは認め難い。

そして意思能力のない幼児ないし学童を監護する行為は、当然にその者の身体の自由を制限する行為を伴なうものであるから、その監護自体が人身保護法および同規則にいう拘束に当たると解するのが相当である。

従って、拘束者太郎は被拘束者春子、同一郎を、拘束者夏子は被拘束者春子をそれぞれ拘束しているものというべきである。

第二監護権の存否ないしその行使の許否について

(一)  請求者は、拘束者太郎を相手方として、東京家庭裁判所に夫婦関係調整の調停の申立をなし、昭和四七年八月三〇日、請求者主張二記載のような合意が成立し、その条項が調停期日調書に記載されたこと、その後、右調停手続は、拘束者ら主張のとおり、調停不成立によって終了したこと、以上の事実については請求者と拘束者らとの間に争いがない。

拘束者らは、右調停が結局不成立に帰した以上調停進行期間中になされた右合意は遡って無効になった。仮りに然らずとしても、右合意についての拘束者太郎の意思表示は請求者の欺罔行為に因ってなされたものであるから本件審問期日においてこれを取消す旨主張する。よって案ずるに、≪証拠省略≫によると、

1  請求者と拘束者太郎とが別居するに至ったのは昭和四七年八月二日の夫婦喧嘩の際に裸にされたうえ、激しく打擲されてその屈辱に耐えられなくなった請求者が離婚を決意し、拘束者太郎の隙をみて夜陰に実家に戻ったことによること。

2  昭和四八年八月三〇日、請求者が東京家庭裁判所に出頭したのは、調停を開く前に行なわれる家庭裁判所調査官の事前面接に応ずるためであり、拘束者太郎はこの日出頭を求められていなかったのに、(拘束者太郎の事前面接の日は八月三一日)偶々請求者が出頭するのを知って、予め東京家庭裁判所の玄関附近で待ち受けていたもので拘束者太郎に会うことは請求者にとって予想外のことであったこと。

3  そこで急遽担当の鈴木調査官によって拘束者太郎と、請求者に対し交互に事情聴取が行なわれたが、事情聴取が終ってから、拘束者太郎と請求者とは請求者の代理人である吉田弁護士をも交えて話合いをし、請求者から子供二人を連れて○○の実家で別居したい旨を述べたところ、拘束者太郎はこれを承諾し、ただ「別居するには当然身のまわり品も必要なのだから、子供二人を連れてこのまま○○へ行くようなことはしないで、一度北千束のマンションに戻り、身のまわりの物を持ったうえで行ってもらいたい。」旨の希望を述べ請求者もこれを了承したこと。

4  そこで事態が紛糾することを予想していた請求者は、案外あっさりと要求に応じてくれた拘束者太郎に心がなごみ、同拘束者およびその時拘束者夏子によって連れられてきていた被拘束者一郎とともに、三人で食事をしたこと。

5  請求者と拘束者太郎との間で一応の話し合いができたのを知った鈴木調査官が、その旨主任の家事審判官に報告したところ、家事審判官は単独で調停期日を開き、合意に達した内容を調停期日調書に記載したこと

が一応認められる。

以上判示の事実によると、右合意は、請求者と拘束者太郎との間の自由な話し合によって成立したものと認められるのであって、たとえその後に、夫婦関係についての、その余の調整についての調停が不成立に終ったとしても、右合意自体が当然に失効するいわれはない。右合意成立の際に、請求者が拘束者太郎に対して拘束者ら主張のように「自分が委任した弁護士の顔を立てるため一応調停の席では請求者の申し入れを承諾してほしい。」とか「自分はそれとは関係なく今日の調停が終ったらすぐに二人の子供の居る拘束者太郎の許に戻って従来どおり生活することにするから。」とか述べたとの点については、拘束者太郎本人はこれに添った供述をしているが、この供述は、前記認定のような前記合意に達するまでの経過がきわめて自然であること、前記合意の内容自体が別居を前提にした具体的なものであること、および請求者本人の供述に照らし、措信し難く、他にこれを認めるに足りる疎明資料はない。従ってその余の判断をなすまでもなく、請求者の欺罔行為を理由とする、拘束者らの右合意取消の主張は、採用できない。

(二)  そして、拘束者太郎と請求者との間の前記合意は、被拘束者両名に対する拘束者太郎の監護権につき、少くとも請求者の意思に反してはこれを行使してはならない趣旨を含むものと解されるから、被拘束者らに対する拘束者太郎の監護権の行使が請求者の意思に反すること明らかな本件においては、拘束者太郎は、たとい被拘束者らの親権者であるとしても被拘束者らに対し監護権を行使し得ないものといわなければならない。従って、また拘束者夏子は拘束者太郎から被拘束者春子の監護を委託されたとしても、同被拘束者を監護する正当な権限は有しないものといわなければならない。なお、前記合意により請求者が被拘束者両名に対し、無条件で監護権を行使し得るものであることはいうまでもない。

第三拘束の違法性ないしその顕著性について

幼児または学童の子の、婚姻中の両親のうち、他方の意思に反してはその子に対して監護権を行使してはならない親が当該幼児ないし学童を他方の意思に反して事実上その監護のもとにおき、これを拘束している場合に、無条件で監護権を行使し得る他方の親が人身保護法に基づいて当該幼児ないし学童の引渡を請求したときは、両親の監護状態の実質的な当否を比較考察し、当該幼児ないし学童の幸福に適するか否かの観点から、これを無条件で監護権を行使し得る親の監護のもとにおくことが著しく不当なものと認められない限り、他方の意思に反しては監護権を行使してはならない親の拘束は、権限なしにされていることが顕著であるものと認めて、無条件で監護権を行使し得る親の請求を認容すべきものと解するのが相当である。

そこで、前段に述べた観点に立って本件において被拘束者両名を請求者の監護のもとにおくのが著しく不当と認められる事情が存在するか否かを検討する。

≪証拠省略≫によると、次の事実が一応認められる。

1  拘束者太郎は、従業員七名を雇って、熔接機の専用機械の設計販売を行っている東都工業株式会社と称する会社を経営し、月収約二〇万円を得て、経済的には安定しているが、顧客の接待等の営業活動によって帰宅が遅く被拘束者らを監護養育することは困難であること。

2  そこで昭和四七年八月二日請求者が拘束者太郎の許を出てから、後にのこされた被拘束者ら二人の世話は、拘束者太郎の郷里である隠岐島から上京してきた兄嫁の拘束者夏子によってなされていたこと。

3  拘束者夏子は昭和四七年九月二日以降も被拘束者春子を養育していたが、九月一五日頃帰郷するに際し、拘束者太郎から養育を委託されて被拘束者春子を肩書住所地に連れて帰ったこと。

4  拘束者夏子は夫の正とともに肩書住所地で古物商、馬喰等を営み、生活には不自由がなく、夫との間に子供がいないこともあって、被拘束者春子の監護養育には心を砕き、被拘束者春子も拘束者夏子になついていること。

5  請求者は、昭和四七年九月二日から、被拘束者一郎が下校途中に被拘束者太郎に連れていかれた昭和四八年三月二二日まで、実家で被拘束者一郎を監護養育していたが、右監護養育には特に不都合な点はなかったこと。

6  請求者は、現在実父の経営する工場の事務員等をして働いているが、工場とアパートを経営する両親の援助を将来にわたって期待でき、経済的にも充分子供を養育する能力はあること。

右の事実によれば、拘束者夏子については被拘束者春子を拘束した始めから現在に至るまでその監護養育について不適切と認められる点はなく、特に子供がいないことから同女に寄せる愛情の深さと養育への希求は充分これを察することができ、将来にわたって養育する能力があると認められる。拘束者太郎についても父親としての愛情に深いものがあることが認められ、被拘束者らを拘束者夏子らにその監護を委託することによってその監護養育の責を果しうると考えられる。しかし一方、請求者についても昭和四八年三月二二日までの被拘束者一郎の監護養育について別段不都合な点はなく、また、現在被拘束者らを手許に引取った場合にも充分監護養育してゆける事情にあると認められる。

右のとおりとすると、被拘束者両名の幸福の観点からみて、被拘束者両名を請求者の監護のもとに置くことが著しく不当であるとは到底認め難い。

以上のとおりであるから、拘束者太郎による被拘束者両名の拘束および拘束者夏子による被拘束者春子の拘束は、いずれも法律上正当な手続によらないでなされていることが顕著であるといわなければならない。

なお、被拘束者らが他の適当な方法によって、相当の期間内に救済の目的を達し得ないことは、審問の全趣旨によって明白である。

第四結論

よって、請求者の拘束者太郎・同夏子に対する本件人身保護請求はいづれも理由があるからこれを認容して、被拘束者春子・同一郎を釈放することにし、同人らがいずれも幼児ないし学童であることに鑑み、人身保護規則第三七条を適用してこれを請求者に引渡すことにし、本件手続費用の負担につき人身保護法第一七条、人身保護規則第四六条、民事訴訟法第九三条第一項、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮崎富哉 裁判官 大浜恵弘 畔柳正義)

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